力の抜き方♪自然体と不自然体の間でバランスをとる
便利になるほど“ヘンに“窮屈な社会にもなっている。
その要因は、人工社会の中で不自然に生きていることが原因とつねづね感じています。
力が入って抜けないから、心身ともに凝る。
という複雑かつシンプルな負のスパイラル。
でも、(たぶん)誰にもずっーと自然体を保つなんてことはできません。
だったら、自然体と不自然体の間でバランスをとるしかないんじゃない?
というお話です。

自然体でいきたーい!

近年、「自分らしく自然体でいこう♪」
とか言われて久しいです。
よし、やろう!
と思えばできそうで難しい・・・。
現代社会において、山や海に出かけて一時的にはなれても、つねに自然体でいるのは難しいですよね。
私もよく夏になると、「自然に帰りにいこう♪」と海に出かけます。
クロックスを履いて海に入ると足が勝手に浮き上がるんですよ。
そのまま大の字になってボーっとゆらゆら海面で揺られてます。
「あー、これが海の音か・・・zzz。」
まさに海(自然)と一体になる感覚。
しかし、
その感覚を日常生活に持ち帰れるのはひと時。
日常の喧騒に相殺されてしまうからです。
整体にいっても「効果が続かない」と嘆く方はまさにここです。
コリ固まった体は一時的にはほぐれても、また人工的な生活に戻るのでほぐれた状態を保てません。
つねに自分で自分の体をガチガチにしている・・・んです。
もちろん、
施術で完全にコリがなくなったわけではありません。
芯までほぐれるきっかけを与えたとお思いください。
よくお客さまが、
「めっちゃ楽になったこの状態が続けばいいのに~・・・。」
と言われます。
私は、
「ストレスがない南の島でボーっとできれば続きますよ。笑」
とお答えします。
できればコリ固まる前に整体で「手当」をしておきましょうね。
(私も過去の自分に反省。)
狩猟採集に最適化されたままの人工社会

私たちの祖先は何百万年もの間、狩猟採集の生活をしていました。
とーぜん、コンビニ(もなければテレビやネット)もありません。
つまり、もともと人間の体は炭水化物を主食にするようにはできていないということですね。
大陸から稲作が伝わったのが弥生時代。
でも、米を主食にできたのは特権階級だけで、庶民はアワやヒエなどの雑穀を食べていました。
というか、みんなが毎日米を食べれるようになったのは戦後なんです。
進化は何万年のタイムスパンを必要とします。
それはすなわち、人類は狩猟採集に最適化されたままの体ということです。
でも、私たちは人工的な生活環境が普通で、それが不自然という感覚が希薄になりがちですよね。
獲物(タンパク質)や木の実(脂質)中心の食生活が、
おにぎりやスイーツ(糖質)過多になって、
省力化社会(車やエスカレーター)による運動不足になって。
また、おびただしい情報にヘンな焦燥感や高揚感を抱いたり、現実とバーチャルのはざまで混乱して脳疲労を起こしていたり・・・。
そりゃあ、身体がついていかないわけですよ。
結果、戦後のほんの数十年で生活習慣病が激増しました。
それが現代に生きる私たちの普通の生活環境・状態です。
仕事なんかでもよく言われる評価基準としては、
「効率よく成果を出せること。」
とか、
「我慢してでも周りと同調できること。」
とか言われたりします。
もちろん、それも大切でしょう。
だけど、その効率・利益優先の経済戦争の中で疲れきっている・・・。
起業コンサルのように、
「あなたの人生は会社の歯車となって身を粉にして働くことではありません!!」
と言いたいのではないです。
大切なのは、
その仕事を通して「人生楽しいかい!?」ってことじゃないですか。
【私の哲学】結局は体が自然体を求めていた

「自然体でいきたいなー。」
そう思って自己啓発の本を読んだり、セミナーみたいなものに参加しても、現実は一ミリも変わらなかった、って方が多いいのではないでしょうか。
「私の哲学」という見出しを書いてみましたが、哲学なんてものは人それぞれなのかもしれません。
どうやったら自然体でいけるのか?
これを考えることは大切だったとしても、考えすぎると思考停止になってしまうのかもしれません。
深刻な心配ごとなんかでも、
深く考えているようで実は思考停止して不安に囚われているだけの状態なわけです。
例えば、
人生の意味ってなんだろう・・・?
と哲学的な問いを自分に問いかけても、
答えは出ないか人それぞれなはずです。
なぜなら、
人間とは、その人が一日中考えていることだ
ラルフ・ウォドー・エマソン
であり、
人の一生とは、その人が人生をいかに考えたかである
マルクス・アウレリウス
だからです。
人に答えを求めても、それは他人の人生でしかありません。
客観的に世の中や自分を見て、
どう感じとり、
どう行動するか?
そういう私もぜんぜんストイックに考えているわけではありません。
今でこそ、
「整体を通して豊かな人生に貢献しょう!」
なんて本気で考えていますが、もともとはしがない(志のない)サラリーマンでした。
でも、人を癒すのが大好きで、
寝ても覚めてもそんな仕事がしたいと考えていた・・・というわけではありません。
整体をすることより受ける方が好きです。笑
組織の中にいることが苦手で1人で手軽に始められる整体という仕事に逃げただけです。
たぶん、「家庭のために身を粉にして働くことこそ美徳だ!」という人から見れば、自分探しをしているような奴はダメだ!!
と鼻で笑われるでしょう。
でも、そんな批判はどうでもいいです。
私は私らしく自分にできる価値提供をしたいだけです。
私は、自然体と不自然体のバランスをとるために人を不快にさせる人の施術はしないことにしました。
- たまーにいる、横柄な態度の人
- 稀~にいる、時間にルーズな人
です。
滅多にいませんが、自由すぎる人もいますからね。笑
整体は“治す“というより自然体に“戻す“

整体的には自力で力を抜くとなるとストレッチが真っ先に思い浮かびますが、あえていったん力を入れる方法もあります。
- グーっ!と全力で体に力を入れる
- そのまま力を溜める
- フゥーっと力を抜く
そうすることで心地よい脱力感が得れると思います。
私は施術に入る馴らしの一環として、
手の平でグーっと背中に垂直圧を加えます。
しばらく溜めてフゥーっと力を抜くと、
「それだけでちょっと楽になった♪」
と言われたりしますが、そのセルフ版です。
初めの方で、
“施術では完全にコリがなくなったわけではなく、芯までほぐれるきっかけを与えた”。
と申しました。
温かい南の島でボーっとしてコリがほぐれ去るのかは実際のところ、その方次第でしょう。
ですが、ずっとバカンスを楽しんでいるわけにもいきませんし、普段の生活の中で、つねに自然体でいることは不可能ですよね。
仕事・家事・育児・介護で、
肉体を酷使し、感情が揺れて、
疲れてコリコリになる。
もちろん、これらを回避することはできませんので、シーソーに乗ってうまくバランスを取るようにするしかないんじゃないですか。
「当院は根本治療します!!」
ってところもあるのですが、なんて壮大なテーマに挑もうとしているんだ!?
って思っちゃいます。
ですから、整体の役割は、
人工社会の中で不自然体になった体を自然体に戻すサポート療法になります。
まとめ
今回のタイトルでもある、力の抜き方は、自然体と不自然体の間でバランスをとる・・・しかない。
ということでした。
また、「力を抜く=自然体」のためには、ときには行動する勇気も必要なのではないでしょうか。
そして、便利を謳歌するともう昔には戻れませんよね。
ならせめて、
海面でゆらゆら揺られている感覚。
山でおいしい空気を吸い込んでいる感覚。
そんな感覚をつねに頭の片隅に置いておくことも大切だなと思っています。
なので、私はまた自然に帰りにいきます♪
ではでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!
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